革命記念日 fête nationale

7月14日はフランス人にとって特別な日です。日本ではパリ祭とも呼ばれていますが、それは日本だけの呼び方で、これは、革命記念日を題材としたルネ・クレール監督の映画 『Quatorze Juillet714日)』 が邦題『巴里祭』として公開されヒットしたためのようです。毎年7月14日には、シャンゼリゼ通りでは軍事パレードが催され、エッフェル塔では夜に花火が打ち上げられます。これらのイベントはこの日にしか見ることのできない貴重なものです。では一体、7月14日に何が起こったのでしょうか?

défilé militaire

それは1789年まで遡ります。バスティーユ牢獄襲撃事件といえば世界史の授業で聞いたことのある人も多いと思いますが、今一度思い出してみましょう。

バスティーユ牢獄とは、本来は要塞で、高さ30mの城壁と幅25mの濠でかこまれていました。このような要塞はフランス全土に30ほどあり、特にパリのバスティーユ要塞 は17世紀頃から牢獄として使われ、王政に反対する人々が確かな理由もなしに収容されていました。つまりバスティーユ牢獄は専制政治の象徴だったのです。

ルイ16世は国民議会の成立に対抗し、民衆の動きを封じようとして、全国から2万の軍隊をヴェルサイユに集めようとしました。また保守的な貴族に動かされて、武力で議会を弾圧し、自由主義的改革を進めていたネッケルを罷免しました。国民に人気のあったネッケル罷免の事実がパリ市民に伝わると、国民議会を支持する市民が武装蜂起しました。この日の朝、民衆は廃兵院で武器を奪ったのち、バスティーユ牢獄に弾薬と火薬があるという噂を聞きつけ、群集で押し掛けました。牢獄の守備隊は弾圧され、囚人を開放し、弾薬・火薬を奪いました。これがきっかけでフランス全土の農民が領主の館を襲撃し始め、旧体制に対する不満が一斉に噴き出して、フランス革命が始まったのです。

このような理由で7月14日はフランス人にとって重要な意味を持つ日となりました。

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